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なんとなく、つれづれ草紙。



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noteというのをはじめてみましたが、いまひとつ使い方がピンと来ず(販売できるようなコンテンツをいま持たないのも原因ではありますが)、なんとなく「本日の朗読」というのをはじめて、それを載せてみています。

基本的に好きなものしか読みませんが、おすすめのものがありましたらこっそり教えていただけましたら幸いです。

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九夜月、丑三つ時。
眠れないので、散歩に出かける。あたらしいバレエシューズで。
はるか遠くで、いや、そんなに遠くもないのかもしれない。あかいランプが点滅している。それがなにかを私は知らない。心臓のようなものだと誰かが言っていた気がする。
Fly me to the moonを口遊んだらあしもとが急に軽くなった気がした。
in other words,

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Facebookに公開したら、反響が大きかった記事。
友達に話したことの不足分を足してまとめた文章だったのですけど、意外と好評だったのでこちらでも公開してみるという。

浮気、愛人肯定論ではありません(ある条件下では否定はしないけど 笑)。
これは、とあることの比喩だったのだけれど、意外と感情的にわかりやすく伝わったかもしれません。
気が多いわたし自身への警告でもあります。
「愛人」は、本来いらないもの、作るべきではないというのが、大前提。
道ならぬ愛っていうのはそれはそれは面倒なものなので、わざわざそれを選ぶなら、「愛人」には特に愛情を深く持って伝えることを怠らないでほしい。
溢れんばかりの愛情(表現)を注いでほしい。それしか信じるものはないのだから。
仕事や家庭の事情で会えないのは理解出来るし仕方ない、でも「愛人」と会えない時間が寂しいという言い訳で3人目の女を作るのは許すべきではない。
ましてや、3人目のために自分がないがしろにされるなど。万死に値する。
だから。「正妻」で満たされないから「愛人」を作るなんてくだらない。
「正妻」も愛してるし「愛人」もたまらなく愛してる、そんなふうに愛情が溢れて仕方ないくらいの人じゃないと、2番目の女を作るのは許されないと思う。
どちらの女にも、きちんと「過剰なくらい愛されている」と感じさせなきゃだめ。
そのくらいの甲斐性もなしに、軽々しく恋愛ごっこなんかしてはいけない。
特に「愛人」の立場からは、惰性で付き合ってもらうのは惨めだし、さらに物足りないから他の女を、なんて、耐え難い。
そして。
片手間に相手に出来るようなつまらない女なら、「愛人」にする価値、ないんだからね。
たとえ2人目でも何人目でも、本気で立ち向かってくれさえすれば、たいていのことは我慢出来たりするものかもしれない。
平等に愛するとか笑わせないでほしい。そうじゃなくて。
君を愛してる、そのことこそ、そのことだけが、大事なのだ。
責任も持たずにあっちこっち顔を出してはひっかきまわして傷つけるような人は信用出来ない。
あっちこっち手を出すなら、せめて責任はきっちり果たさなきゃ、ね。

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これは「戦争」なのかもしれない、と、道中、思った。
わたしは、それに「負けた」。そう思っていた。
「勝ち負けではない」事柄ではあるけれども。
それでも「他人が持っているのに私にはない、そしてそれを私が欲しいと思っているのに手に入れられていない、さらに言うなら、手に入りかけたものを誰にも知られぬまま、持ち主にすら不在扱いされながら手放すこととなった」という事実は「負け」を、激しくわたしに感じさせた。
だがしかし、「無い」ものは「無い」のである。
「既にある」ものを無くしたときの空白に比べたら、最初から「無い」ことなどきっとなんでもないことだ。
(ああ…だから、手に入りかけた時に少しだけ気持ちが動いてしまったのだ。わたしにもそれを手にすることが出来るかもしれないという淡い期待で。期待なんてしちゃいけないものだと理解しているのに)
もともと欲しかったものではない。きっと気まぐれに或る日突然「欲しい」と思っただけのことだ。きっとそうだから、無くても全然困らない。あったから必ず幸せだというわけでもない。そして手にしたからといって維持する自信などまったくない。
わたしの気まぐれで不用意に発した一言で、わたしにそれを得させようと努力してくれている人たちが動いている。それはもう一生懸命に。
なのに、わたしには何故かもう他人事のように遠いことに思える時がある。
それを申し訳ないと思う気持ちはあれど、今は「頑張る」ことが出来ないでいる。それは甘えなのかもしれないけれど。
これを一般的にはきっと「疲れている」というのだろう。
きちんと考えて「諦める」ことすら出来ないくらいに。
目をつぶって身体を丸めて部屋の隅っこにうずくまっていればこのまま時間が経って、「取り返しがつかなく」なれば、「諦める」ことも出来るのかもしれない。目をつぶって耳も塞いで。
もう「負けて」しまえばいい。何もかもに。

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安寧な日々、ぬるま湯のような、ごくごく普通の日常、そんなものに尋常ならざる憧れがある。
どこそこで野菜が安かったとか、テレビで見たあれを試してみたいけどどうかしらとか、近所の誰それさんについての噂話とか、親戚づきあいのあれこれとか、そういうことで日常を終えてみたい。繰り返される日常。繰り返される退屈。そしていつの間にか少しずつ変化していくかたち。そういうものに翻弄されてみたい。
「日常」というものに投げ出されてみたい。
青臭い自己愛に絡んだ悩みやら痛みやら、というものがいまだに消せないし、そのせいで人間関係も困難。
いつになったら「自分って」「存在って」「私の役割って」「愛って」なんて、余分なことを考えなくて済むようになるんだろう。
どうしようもない現実、圧倒的な日常の前にひれ伏せば、そんなことなど気にもならなくなるのではないだろうか。


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** 出演 ** 金平糖企画新作公演「ニュースペーパー」 2017年10月28-11月1日、11月21-22日。 ** 掲載 ** カメラピープルブックレーベル 「だれがなんといおうとだいすきな写真」採用 ** 撮影 ** どりばん「どり盤」CDジャケット、ポスター撮影
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