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わたしの人生の節目には、いつも誰かの不幸がつきまとっている。
わたしの社会的ステップアップはいつも、実力よりも、周囲の協力や、まるで奇跡としかいいようのない「運」によってなされてきた。運も実力のうちだと思っているので、それはそれでいいと思っているのだけれど。
しかし、不思議なことに、奇跡とも呼べる結果を起こしたとき、ほぼ必ず、近い血縁の誰かが亡くなる。
まるで、わたしの行動の結果を見届け、力尽きたかのように。
大学受験。絶対無理だと思われていた大学に合格したその直後。
これまた今回は無理だと思われていた資格試験に合格したその直後。
そして、人生が大きく動き、ようやく安住の地が見えてきた今、最も近い血を分けた人間の余命がそう長くないことが判明した。
そう、きっと偶然だと思う。
でも、こんな不思議な、そして悲しい偶然が続くと、「自分の幸せは他人の不幸のうえに成り立っている」という仮説は、それほど間違っていないのではないか、という気がしてくる。(真実ではない、と思っているが。言葉は、見方を変えれば、真実にでも虚構にでも、いくらでも変化することが出来るのだから。そもそも幸せって?不幸って何?それは簡単に定義できるものではないように思える。)
だからといって、わたしは自分の幸せを追求することを決してやめるものではない。
そもそも幸せって何なのだろう、という問いも常に持ち続けることになると思うけれど。
そして、日々足を前に投げ出すたびにこう呟くのだ。
…ありがとう。
わたしの世界にある、すべての人に、すべての物に。
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