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いっぱいいっぱい。
許容量オーバー。
しばらく、何も出来そうにない。
レールに乗って走り出していること以外は、何も。
生命装置の維持すらも、やる気がしない。
小学生レベルの計算ですら出来なくなってきた。
食欲もないし、夜も眠れないし、何でもないのに涙が出たりする。
…そろそろ、休養が必要だ。
なんてことが、自分でわかるようになっただけ、ましかもしれない。
少なくとも、当面は死なずに済む。
それにしても、こんなときに限って、代理の仕事がたくさん入ったりするのは、どうしてだろう。
きっと罰に違いない。いつも、やりたいことだけやって、食べたいものだけ食べて、にこにこ笑っていることへの、罰に違いない。
ロリィタ友達のM嬢が、お友達にドキュメンタリーを撮られているという。
ロリィタとして、友情出演してくれませんか、とお誘いがあったので、大好きなマリィ・アントワネットプリントのドレスを纏い、お茶会をしてきた。
撮影しているのは、M嬢のお友達のR嬢。
写真を撮られることや、舞台に立つことにはそこそこ慣れている。「見られる」こともそれほど厭わない。でも、「映像」として撮られるのははじめてで、なんだかどこを見ていいかわからなくなって、きっと挙動不審だったと思う。
カメラを回されながら、R嬢の質問に答えたり、M嬢とおしゃべりしたり。いつもと同じようにしているはずなのに、不思議と、自分でも驚くような言葉が出てきたりする。曝け出されている、感じ。
「話す」ことは得意ではないので、正直、どんなふうに撮られているか、不安である。
でも、M嬢はとても魅力的な女の子だし、R嬢の、「作品」に対する考え方に触れることも出来たので、完成がとても楽しみ。
何故、ロリィタであるのか。
ただのファッション、だけでは括れない何かがあるのだけれど、まだ、うまく言葉にすることが出来ない。
けれど、奇しくも、自分を上手く表現する言葉を見つけることが出来た気がした。
こんな素敵な出会いをありがとう。
わたしの人生の節目には、いつも誰かの不幸がつきまとっている。
わたしの社会的ステップアップはいつも、実力よりも、周囲の協力や、まるで奇跡としかいいようのない「運」によってなされてきた。運も実力のうちだと思っているので、それはそれでいいと思っているのだけれど。
しかし、不思議なことに、奇跡とも呼べる結果を起こしたとき、ほぼ必ず、近い血縁の誰かが亡くなる。
まるで、わたしの行動の結果を見届け、力尽きたかのように。
大学受験。絶対無理だと思われていた大学に合格したその直後。
これまた今回は無理だと思われていた資格試験に合格したその直後。
そして、人生が大きく動き、ようやく安住の地が見えてきた今、最も近い血を分けた人間の余命がそう長くないことが判明した。
そう、きっと偶然だと思う。
でも、こんな不思議な、そして悲しい偶然が続くと、「自分の幸せは他人の不幸のうえに成り立っている」という仮説は、それほど間違っていないのではないか、という気がしてくる。(真実ではない、と思っているが。言葉は、見方を変えれば、真実にでも虚構にでも、いくらでも変化することが出来るのだから。そもそも幸せって?不幸って何?それは簡単に定義できるものではないように思える。)
だからといって、わたしは自分の幸せを追求することを決してやめるものではない。
そもそも幸せって何なのだろう、という問いも常に持ち続けることになると思うけれど。
そして、日々足を前に投げ出すたびにこう呟くのだ。
…ありがとう。
わたしの世界にある、すべての人に、すべての物に。
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